林マヤ(はやしまや)
林マヤさんのプロフィール
生年月日
1958年2月23日
身長
約171cm
本名
= 大内理枝
愛称 : マヤマヤ
[歴史]
マヤさんのテレビでの発言を主に参考。
(少し著書からの情報もあり)
長野県出身。
1979年頃にモデルデビューするも、
男性のような刈り上げのパンク系の髪型やファッションをしていたため誰にも注目せず、
3年間くらいまったく人気が出なかったため、自分の居場所を求めてパンクの本場であるロンドンに行くことを決意し、
当時の事務所も辞めて日本を発つ。
パリ経由でロンドンに行くところであったが、手違いでパリで数日過ごす事を余儀なくされ、東京で仕事をしたことのあるパリ在住の某日本人デザイナーに連絡を取り、パリのカフェに連れて行ってもらった際に、の世界的なカメラマンのピーター・リンドバーグが偶然店におり、
「マリクレールにあなたの写真を載せたいので撮影させてほしい」
というオファーを受ける。
渡英前は半ばモデルの仕事を辞めるつもりでいたため仕事を受けるか迷ったが、
モデル時代の最後の思い出になればと思い、仕事を引き受けたところ、
その撮影が楽しかったため、そのままパリに滞在して現地の事務所に入り、活動を続けることに。
そして、日本人として初めてフランス版「マリクレール」誌に登場した写真が大反響となり、
このマリクレール掲載を機に様々なパリコレデザイナーからショー出演のオファーが届くようになって、
これを機に、伸長171cmで世界基準のショーモデルとしては身長は足りなかったが、
「クリスチャン・ディオール」や日本人デザイナーによるパリブランドのショー出演など、
西洋風&ボーイッシュな雰囲気をいかして1980年代中盤に様々なパリコレのショーで活躍。
その他、日本では東京コレクションでも活躍するなど、
1990年近くまで国際的モデルとして活動。
パリでのブレイクを受けて国内でも逆輸入の形で話題の人物となり、装苑やanan誌面などで活躍。
モデル活動の他、1991年には歌手デビュー。
1990年代後半からは、その明るいキャラクターを生かし、
モデルを辞めてテレビタレントに転身して大活躍しはじめる。
2008年頃には都会暮らしの疲れなどから、夫と共に茨城県に移住。
時給自足を実践するタレントとしてテレビ等で話題に。
キャリア
YouTube内の公式的映像や寄せられた情報、
オークションで手に入れた古いコレクションレポート雑誌など参考。
主なショー出演情報
≪パリコレの主な出演ブランド≫
- クリスチャン・ディオール
- KENZO・・・・・1984AW出演。その他シーズン不明
- ジャンポール・ゴルチエ・・・・・1983SSには確実に出ている。その他シーズン不明
- イッセイミヤケ・・・・・1984SS出演。その他シーズン不明
- ヨウジヤマモト・・・・・1984SS出演
- ドビー・ブロダ(Doby Broda)・・・・・未確定情報
≪東京コレクションの主な出演ブランド≫
- ミチココシノ(MICHIKO KOSHINO)
- ケイズ・イン(K'S IN)
- ゼルビナ(ZERBINA)
- オックスフォード・クインシィ(OXFORD QUINCY)
- コンセント(CONCENT)
- イーハティーク(E/H/TIQUE)・・・・・鈴木慶子のブランド
- トキオクマガイ・・・・・未確定ながらほぼ出演は間違いなし
- スタジオV・・・・・未確定情報。入江末男デザインのブランド
雑誌
- マリクレール(フランス版)
- 装苑
コレクションハイライト映像
"Issey Miyake" Spring Summer 1984 Paris Pret a Porter Woman
1:45秒過ぎ
★YouTube「FASHION CHANNEL」公式チャンネル
パリコレ・プレタポルテ1984-1985AW「KENZO」ショー映像
2分10秒頃から画面左のほうに映る
■国際的モデル/海外拠点系
[1950's-1990's]
<1960-1990年代>
ダイジェスト
[キャリア外部リンク]
<2000年代以降>
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3.スチール兼ショーモデル
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